2010/03/09

たのしいこと、つらいこと。

先日、日本からのお客様がきて一緒にお食事をさせていただいた。
その話はあとで書くとして、そのときに「NYで一番楽しかったこと、つらかったことは何ですか?」と聞かれた。

能天気な性格から楽しかったことは沢山あるので、どれが一番か選べず、ブルックリン橋を自転車で駆け抜けるとき、ミュージシャンの方の写真を撮らせてもらっているとき、そういう瞬間が最高に幸せだなあと思います、と答えた。でも頭の中では、おいしいご飯を好きな人と食べているとき、友達とおもしろい話をして大声で笑っているとき、空を見上げて飛行機雲を見つけたとき、鉄橋を渡っている最中に夕日が真正面で見えたとき、そのどの瞬間も最高に楽しい!と思うなあ、と考えていた。一番、というのはなかなか選べない。

でも、逆につらいことを考えたとき、しばらく考えたけれど、一向に出て来ないのだった。
うーん、うーんと唸っていると、横にいた私を長く知っている別の人が、
「ほら、アパートの天井が落ちてきたじゃないか。あれは?」と助け舟(?!)を出してくれた。
「そういえば、そんなことありましたね!」と逆にその人の記憶力に驚くのだが、実はそれも2年も昔の話ではない、その事実に本人がまたびっくりする始末。
つらいことがあったとしても、それがほとんど今では「あれがあるから今がこうなったのかあ」と、どこかで納得できたから、それが「つらい」という記憶として残っていないのかなと後から気がついた。

と同時に、そのつらさの感情の記憶をすぐ思い出さなくとも、そのとき助けてくれた人たちやそばにいてくれた人たちのことは、すぐに思い出せる自分でいようと思った。