2010/07/05

Jamel Shabazz氏と会う

この間、写真家のJamal Shabazz氏の個展のオープニングパーティーへ行った。

彼はデショーンと同じファイヴパーセンター(The Nation of Gods and Earths)の一人だ。
このファイブパーセンターについては、奥が深すぎるので後ほどゆっくりと記したいので今回は省くとして、とにかくこのShabazz氏の写真が素晴らしい。
以前、日本でもタワーレコードの広告で彼自身が登場したこともあるので、もしかしたら覚えている人もいるかもしれない。

Shabazz氏は高校卒業後すぐに入隊し、ドイツへ派遣されそこで数年を暮らし、アメリカへ戻って今度は州立刑務所で働きはじめる。
父親が写真を撮る趣味があったため、彼もその影響でカメラを手にして80年代のニューヨーク、自分の出身地であるブルックリンを撮り始めた。

その数千に渡る写真の集大成がこちら。


185センチはある長身の彼は、カメラを首にかけ、ニューヨーク/ブルックリンのストリートを歩きながら被写体と出会い続けた。
Shabazz氏は人とまず会話を始めるという。
会話をして、そして納得してから撮るそうだ。




「お金とか、そういうものに執着はしない。ただ、僕の目は神から与えてもらったギフトだ。だから僕は写真を撮るんだ。それを見て人が感動してくれることが、僕の使命なんだ」


彼が写真展に必ず飾るという、「ライフ」という名の三枚の組写真がある。
一番上から、順々に三枚の写真が並ぶ。
まず母体から出てくる赤子を助産師が取り上げる瞬間の一枚。
そのあと、新しい生活をはじめたばかりと見受けられる男女二人がこちらを向いて微笑んでいる一枚。
そして最後が、棺桶の中に横たわる男性と、もう一人の別の男性が遺体を見守るように横にたたずむ一枚。
その三枚の写真に移る人間はすべて違うが、命を授かって生を受けた、同じ人間だ。

「人によっては、僕の写真はつまらないという。みんながカメラを向いてポースしてるだけじゃないか、と。でも僕はあえてそうしたい。彼らは、なんと美しいんだろう。僕は撮ることで、彼らの中にある美しさを思い出してもらいたいんだ」

彼の写真集の一冊にある「A Time Before Crack」という本がある。
これは名の通り、クラックが流入される前のニューヨークを撮ったものだ。
この時代を知る人たちに話を聞くと、このビフォアとアフターで、この街はかなり変わってしまったという。これについてはやはり後で書きたいと思う。

写真に移る人々は、とてもスタイリッシュだ。だからときどきファッションのツールとしてこの本を取る人も少なくない。けれども、Shabazz氏はその奥にあるストーリー、ヒストリーを読み取ってほしい、という。

被写体と話しをしてからカメラを向ける彼は、撮った人たちのこともよく覚えており、 写真に写る、カメラを見て無邪気に微笑む若者たちの顔をじっと見ながら、
「この子はまさにクラックにやられて死んでしまった」
「彼はバイヤーとなって事件に巻き込まれ、今ではムショに入れられ終身刑さ」
「彼女は結局フッカーになって、最後は殺されてしまった」
本当に無念でならない、とつぶやく。

ちなみにこの写真集が出版される際、出版社のパワーハウスとShabazz氏の間でかなりもめたことがあった。
出版社側は「こんな過激なタイトル(「A Time Before Crack」)では売れるはずがない」という主張をした。
それに対しShabazz氏は「現実をオブラートで包んでどうしようというんだ?これが、この街で起こった、真実なんだ」と断固タイトルの改名に拒否し、出版に至った。

Shabazz氏は、今でもカメラを持って街に出る。
この時代を、彼はどう捉えるのだろうと、私は次回作が楽しみでならない。

Jamal Shabazz
http://www.jamelshabazz.com