2009/07/14

Party in the NYC's train in memory of Michael Jackson - 2

Party in the NYC's train in memory of Michael Jackson - 2

ネイリストのわたるちゃんが教えてくれました。
ニューヨークって、だからおもしろいのよね、と思う瞬間。



クリックで救える命がある。

2009/07/09

I am nothing というきもち

まだ二十代の前半のころ、ある男性と出会った。
彼はニューヨーク出身のパフォーマーで、世界中を公演旅行をしてまわっていた。
その人と私は東京で出会い、恋に落ちてしまった。

その頃私はまだ大学生で、進路のことでとても悩んでいた。
自分が何をしていいかわからなかったし、不安で、自信がまったくなかった。

そんな私と正反対に、その人は毎日のように、多くの観客から拍手喝采を浴び、きらきらと輝いているように見えた。
彼は、いつも自分が何をしたいのかが明確であり、自信に満ちあふれていた。
しかし、時々何かのインタビューに答える彼は、今でこそ成功しているがここまで来る道は決して平坦ではなかったと語るのだ。

今でも英語は得意ではないが、その頃の私はもっと苦手で、彼とのコミュニケーションを取るのも精一杯、しかも自信がないので、どうしてこの人は私と一緒にいるのか不思議で仕方なかった。
彼は、私をニューヨークに呼び、彼の家族まで紹介してくれ、また将来の話までし始めるのだ。

彼と将来を誓い、家族を築くことを考えたとき、私自身がどうしても釈然としなかった。
また、その当時、私の母は体が丈夫ではなかったため、海外へ出たいという強い思いはあっても、その母を置いて日本を出るという決断はとてもできなかったし、自分が何をしたいのかもわからないという、何か中途半端な状態で飛び出すことに、抵抗があった。

もしかしたら、その彼と一緒に世界を旅しながら、色々なことを吸収し、自分の道を開くことができたかもしれない。
しかし、彼の成功に乗って、“彼の彼女”というステイタスに安住し、自分もそこにいるような感覚が気持ちよくもあり、怖くもあった。

彼の友人たちーやはり第一線で活躍している人たちーに紹介され、一緒に時間を過ごすとき、一瞬自分もそこに”いる”ような錯覚に陥るが、実際はまったく宙ぶらりんで生温い自分という現実のギャップに、落ち込むのであった。実はまったくその位置にいないと自分が一番よく知っていたからだ。

彼は、自分の人生を「決めて」きたのだ。ずっと。そして、私は決断し、そのコミットメントが恐怖でもあった。

写真を撮ろうと決めたときと、彼との別れは同時期だった。
偽るという苦しみから逃れると同時に、今度は「向き合う」という恐怖と対面しなくてはならなかった。

ニューヨークにいる彼の元を去り、一度私は東京へ戻った。
私が彼のいるニューヨークへはもう戻らないと、彼はきっと、わかっていたと思う。
ちょうど1月の寒い頃であり、家族が寝静まっている明け方、彼の実家へ電話をした。

「もう、わたしたちは一緒にいられないね」
「そうだね。わかってる」

本当に短い会話だったが、他に話すこともなかったので、そのまま私は受話器を置いた。
解き放たれた思いと一緒に、涙があとからどんどん溢れてきた。







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2009/07/07

マイケル・ジャクソンー世界を一つにした真のキング

プロスペクトパークでFemi Kutiのフリーコンサートへ行く途中のこと。
ソーホーのオフィスから地下鉄へ乗ろうとした矢先に、次々と携帯にメッセージが入り込んできたのだ。
「Is MJ really dead?」「Michael Jackson died!」「R.I.P Michael Jackson」
初めはデマだと思ったけど(そう思いたかった)、次々に来るのでこれは本当かもしれないと思い始めてきた。

コンサートが終わって、レストランで友人たちとご飯を食べていたら、CNNでマイケルの死にまつわるニュースが報道されていた。

デショーンは、マイケル・ジャクソンの大ファンだ。
音楽ヲタクとも言える彼が、一番大好きなミュージシャンとして尊敬してやまないマイケルの死はかなりの衝撃を与えたらしく、
コンサート会場で会った友達たちとも、マイケルの死についての話題について彼は固く口を閉ざしていた。

その彼が、CNNを見て、急に泣き始めた。
彼の涙を見て、ああ、本当にマイケルは死んでしまったのだと私ははじめて実感した。
一緒に夕食をともにしていた友人たちも、デショーンの涙を見て、みんな無言になった。

昔、今は亡き祖母が好きなレコードを買ってくれるといい、私は「マイケル・ジャクソンのレコードがいい!」とお願いした。妹は確か松田聖子だったと思う。
私はマイケルが大好きだった。彼に夢中になっていたといってもいい。
多分、アイドルの感覚で彼に憧れていたのだ。
自分が成長するにともない、今度は彼の音楽のすごさに尊敬の念が生まれた。

彼は国境も人種も言葉も文化も超えて、世界が一つになることをいつも望んでいた。
そして、未来は子供たちにあると夢を託した。
そういうことを、自らの命を削って一生懸命表現していたはずだ。
彼がこの世を去った日、確かに何かが一つになったような気がした。

その日、私たちは家に着いて、マイケルの歌を2人で再び聴いた。
デショーンがいてもたってもいられなくなり、ソファーから立ち上がって私の手をとった。
そして狭い部屋で、マイケルの歌に合わせて2人で馬鹿みたいに踊った。
踊って踊って、汗をかくほど踊って、最後に「Got to be there」が流れ、また2人で涙を流した。

私はマイケル・ジャクソンに会ったことはない。
コンサートも見たこともない。
こんなふざけたファンの一人にも、彼の存在はしっかりと大きく刻み込まれている。

マイケルのことを書こうと思ったら、もうきりがない。
今日の追悼式でスティーヴィー・ーワンダーが「神が彼を必要とした」と言った。
マイケルは、この世の仕事を終えたのだ。
マイケル、ありがとう。本当にありがとう。













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