2011/12/12

ブルックリン・ネイバーフッド

自転車で10分の距離圏内に、デイヴィッドという友人が住んでいる。
しかし、たかが10分なのにまるで別世界なのである。

うちのご近所はカリビアン・ネイバーフッド。
(ブルックリンはもともとカリブ系の人たちが多い場所なのです)
詳しくはジャーナリストの堂本かおるさんの記事をご参照くださいまし!
NYエスニック事情
かおるさんのサイトの、ニューヨークのカリビアンというところでございます。

たとえば、

はす向かいのバーで夜中までレゲエだの、ハウスミュージックだの、ソウルミュージックが大音量で流れ、

隣に住むドラッグディーラーの兄ちゃんのもとへは四六時中お客さんが買いにくるし、
→そのたびに彼らは携帯とか家についているベルとか鳴らさずに、あえて口笛とか、名前とか、そういう古典的な方法で呼び出す。「おーい、○○ー!」とか。

それが日本に帰国中、デショとスカイプしてるとき、スカイプ越しに聞こえるんだから、どんだけ大声なのかと思う・・・。
そして人によって呼び方に個性があるゆえ、2年も同じところに住んでると、「あ、またあのおばちゃんね」と声だけで誰かわかるようになってしまったのが怖い。

三軒隣のプエルトリカンのおじちゃんが経営しているデリの前には、たま〜にお友達と思われる車が一時停車して、あえて車のドアを開けて、ちゃきちゃき系プエルトリカン音楽を夜中に流すし(それで夜中に目が覚めたことが何度かある!)

お隣のビルに住むガイアナ人のおじちゃんは二階から、あえてご近所全員に聞こえるくらいの音量でデニス・ブラウンを流してる。

ところが、デイヴィッドの住むエリアはちょっとした高級住宅地。デイヴィッド自身もユダヤ系だし、白人が多いエリア。それで何が違うって、その静けさである。閑静な住宅地、という言葉がぴったり。

夜10時以降に、彼の家の前で少しでも立ち話したら最後、お隣のおじちゃんが3階から顔を出してきて、「うるさい!」と叱られたので、それから彼の家を夜出るときには、コソコソしながら音を立てないよう気をつけている。

私の近所(カリビアンネイバーフッド)は、あくまでも主観ですけど、そういう「あえてする」行為がとっても多い。余計というか。でも彼らにとっては当然の行為なんだけど。
そういえば、ブロンクスのプエルトリカンが多く住むエリアでも音がすごかったなー。
彼らにとってのそういう音って、日常の音=気にならない、なのだろう。

で、逆にデイヴィッドのご近所では、音を出す=騒音=大迷惑、と、日本人の常識に近いものがある。

自転車で、たった10分の距離で、ニューヨークはこれほどまでに近所の雰囲気は変わる。
そして常識もまるで変わる。

ああ、でも変わるのはニューヨークだけではないかもなあ、とここでふと思う。

東京でも、高級住宅地と言われる場所から線路を隔てて徒歩10分ほどの距離にポルノを上映している映画館や、スナックや、ソープランドがあったりする。
こちら側で私の両親は酒屋を経営していたので、そういうお店はお得意さんであり、父は毎日のようにお酒を配達していた。私もときどき電話に出て注文を取っていた。
うちの前にある小料理屋では、夜10時を過ぎても酔っぱらいのおっさんたちが弾き語りのギターの音色に合わせて下手な歌を歌っていたっけ。

小学生の頃、一人で近所を散歩して、その高級住宅地に迷い込んだとき、大きな家の隙間から、ガラス越しに、私と同じ年くらいの、髪の長い女の子の姿が目に入って来た。そしてその女の子は、バイオリンを練習していた。ものすごい衝撃だった。まるで違う世界を覗いてしまったような感覚。心臓がどきどきして、その女の子から目を離すことができなかった。

結婚しているときは、デイヴィッド側の住宅地に住んでいて、それが何か物足りなかったのを覚えている。
三つ子の魂っていうけれども、結局今住んでいるブルックリンの近所は、自分が幼い頃に過ごしたあの環境になんとなく近くて、それが安心するのかもしれない。
結局、弾き語りのギターの音色が、デニス・ブラウンの声に変わっただけで。

いつもうるさいなあ、と思いながらも、近所のジャマイカ人のおじちゃんから「よお!元気か!しばらくだな、どうしてた?」と肩をたたかれ、トリニダット人のラスタのおっちゃんが経営するデリでアイタル料理(*)を食べると、ここも悪くないなと思い直すのである。