2011/10/29

旅に出ています

マヤ暦が28日で終りましたね。
そして今日は明けた29日。

この記念すべき日に私は何をしていたかというと、撮影してました。
東京の友人が誕生日に隕石を贈ってくれて、それが幸運を呼ぶとかで、
それをいただいてから、仕事がすごく増えました。
それを幸運と呼ぶかはおいといて、
でも毎日楽しいことは確かなので、幸運なのでしょう。

2011年、みなさんはどんな年でしたか?
わたしは旅をした一年でした。

旅といってもほぼ仕事でですが、それは本当にありがたいことだと思います。
もちろん機材はたくさんあるし、プレッシャーもあるし、毎日撮影なので緊張はするし、
でも、これは私の夢の一つだったので、素直に感謝なのです。


これは、セネガルで車の中からみた夕陽。

2011/10/05

フランスへ

撮影でフランスの港町、ナントへ行ってきました。
詳細はぜひJALの機内誌「AGORA9月号」で読んでいただきたいです。

ヨーロッパはなんと、6年ぶりでした!
ニューヨークへ来てからもうそんなに経つのか・・・。
“光陰矢の如し、あなたの噛んだ爪が痛い”っていうのは高校卒業する際に担任の先生が送ってくれた言葉なんですが、まあそれは置いといて、

久しぶりのフランス、本当に素敵でした。
ニューヨークはヨーロッパへの憧れが非常に強い街です。
食にしてもカルチャーにしても、スペインからニューヨークへ移ってきたとき、
結構がっくりきたのだ。

ヨーロッパは古い歴史があって、建物も文化も、すでに何百年もの重みがあり、
その上に新しいものが積み重なっていっても、その歴史がその新しさをかき消すくらい重いのだ。
住んでいる人もそれを十分承知で物事を進めている感じがする。

でもニューヨークの場合、それがあまりに薄すぎて、ヨーロッパのようにやろうとすると、なんだか奇妙な滑稽さが出て来たりする。がんばりすぎ、かっこ良く見せようとし過ぎ、というか。

逆にニューヨークのおもしろさは枠を超え常識を超えたポップカルチャーだったりする。
音楽にしてもアートにしても、そういうものの中心はやっぱりニューヨークだと思う。

とにかく、フランスである、パリである!
撮影は主にナントだったので、パリには一日しかいなかったけど、
でもやっぱり好き、パリ!

帰国の朝、飛行機に乗る前ちょっとだけ早起きして、iPhoneでばしゃばしゃと撮りました。
市場の前のカフェで飲んでエスプレッソ、おいしかったなあ〜。
普段コーヒーはあまり飲まないけど、この日は特別である。






2011/10/01

貞夫さん

ブルーノートの撮影をして以来の渡辺貞夫さんの撮影がNYでありました。
こちら、JazzLife10月号で表紙になりました。






それと、貞夫さんの新譜でCDジャケットの中身を撮影。
表カバーは巨匠、操上和美氏



なんていうか、貞夫さんを見てると、謙虚さとも違う、人間の凄さがあるんだよなあ。
謙虚っていうのは、きっと、ある程度、自分への客観性があっての行為なのかもしれなくて、
でも貞夫さんの場合は、自分が好きなことを徹底してやっていて、突き抜けている感じがする。

「ああ、今日は全然だめだー。音がまったく出てなかったでしょ」とただのフォトグラファーの私に肩を落としながら話かけてきたり、

レコーディングの合間/終わりにビデオ撮影もあって、そのためにアメリカ人クルーが何人か待機しており、しかしレコーディングの進み具合が少々遅く、待ち時間が長引いたときも、貞夫さんはわざわざスタジオから出て来て、「申し訳ないね、お待たせしてしまって」と深々と彼らの前で謝罪したり、

途中みなさんが休憩を取って食事をしている間、わたしだけ食べ物がなく、
それを知ってか知らぬか貞夫さんは「これ、食べる?これ全部食べたら吹けなくなっちゃうからさ」と、ご自分のツナサンドを半分分けてくれたり、

貞夫さんの撮影をしているときも、しばらくすると、ニカっと笑い、
「もう十分撮ったでしょ、いいよね」と言うのだが、本当にそのタイミングは完璧で、
そのとおりだったりする。

貞夫さんの音楽ももちろんのこと、そういう人間性に、わたしは惚れてしまうのだ。
人間の魅力って、どんどん溢れ出てくるもんなんだな。






終わりに・・・。

貞夫さんの奥さまみっこさんが亡くなったのをわたしは全く知らず、
彼女のメールアドレスに「お元気ですか?会いたいです」と送っていました。

みっこさんは本当に素敵な方で、東京でわざわざ時間を割いてくれ、「貞夫とよく行くのよ」と行きつけのお寿司屋さんへ連れていってくれたりしました。

みっこさん・・・。
きっと今頃、天国で貞夫さんの活躍を見守っているんだろうな。
どうか安らかにお眠りください。